Beautiful Rain

私の人生で経験した事の覚書

別れのつらさと恐怖の話

別れって何回経験しても慣れないもので、心的負担がものすごくかかりますよね。

 

というのも年末に祖母が亡くなりました。

 

危ないと分かってからの慌ただしい空間感。家族が1人いなくなる虚無感。実家の中に漂う重たい雰囲気。色々終わるまでの4日間気が張り詰めて、いつも以上に少し動いただけで疲労する。そんな日々でした。

世間はクリスマス!お正月!なんてキラキラしてるのに、私だけ白黒の世界に1人取り残されてるみたいで。それもしんどかった。

 

元々親戚一同年齢が高いのもあり、

6歳の時に母方の祖父

7歳の時に父方の祖父

12歳の時に母方の曾祖母

と幼い頃から家族との別れはおそらく他の人よりは多く経験してきました。

これ以外にも友人の親など、私の中ではお葬式に行く事は普通の事でした。

 

さてそんな私が大人になった今、祖母を亡くして何を思うのか。

 

まあその前に祖母との思い出でも少し

私が幼い頃は地方に住んでおり、毎年年末年始にかけて祖母の家に新幹線で行くのが我が家の定番でした。

それを知っていた祖母は帰り際

「これで新幹線の中でアイスクリーム買ってもらいなさい」

と毎回500円玉を私に渡してくれていました。

そんな500円を握りしめて、東海道新幹線のスゴクカタイアイスを買ってもらったり、年齢が上がるとアイスは買わずに貯金したりと、今でもあのアイスは祖母の味です。

 

さて、話は戻ります。

昔から「死」に対して漠然とした怖さがあって。

亡くなって魂が抜けた身体がどうしても物にしか見えなくて。それが私はずっと怖くて。大切な家族だし、沢山愛情をくれた人には変わらないんですけど、そこには何も無いというか。身体は残っていても何にも無いんですよね。身体は魂が棲家にしてた借り物で、空の家だけがそこに物としてあるから怖いんだなと気付いたのが曽祖母が亡くなった12歳の頃。

 

まあ結論から言うと、大人になってもその感覚は変わらなかったです。

 

危ないかもしれないと言われた日の夜、部屋でひっそり1人で泣きました。結構な号泣で。大切な祖母の魂がこの世から無くなってしまう事がどうしても怖くて。その後何とか眠りにつくも、私まで死にそうになったり、連れていかれそうになる夢見て何度も飛び起きたりして。

そんな次の日に祖母は亡くなりました。

 

冒頭にも少し書いた様に、年末といわれる時期に突入していたこともあり、火葬が空いてるタイミングに合わせて色々な日程を決めました。

そのため数日時間があったのですが、その間家族や親族は何度か葬儀屋さんに祖母の様子を見に通っていましたが、私は1回も行かず。納棺は立ち合いましたが、なんだろう。どうしても顔を、手を、身体を、見てあげられないし触ってあげられない。こんな祖母不幸な孫いるかね?って自分でも思います。

 

家族葬で火葬まで1日で終わらせました。

火葬にも漠然とした怖さがあって。

 

1つ目は今は無いのかもしれませんが、祖父の時に喪主である祖母が火葬炉のスイッチを押していて。

その時の祖母の姿というか空気感が幼い私には衝撃的で、脳裏にトラウマ的な感じでこびりついてるのかもしれません。

2つ目は拾骨です。

日本では昔からの習慣で拾骨すると思うんですが、祖父の時はどちらも幼いからと私は拾骨はせずにいたんです。

曾祖母の時に初めて骨上げを経験したのですが、おそらくこの時の記憶が濃く残っていたみたいで。

火葬炉はロストル式と台車式の大きく分けて2種類ありますが、最近一般的なのは日本の拾骨文化に合わせた台車式。火葬時間は長いですが棺ごと火葬するため骨が身体の形通り綺麗に残りやすいのが特徴です。

地方に住む祖父、曽祖母の時はこちらでした。

(大学生の時に調べた)

拾骨の時に私より歳下のまだ幼いはとこかいたため平然を装っていましたがこちらも衝撃的なものでした。

 

今回お願いした斎場は都心ということもあり稼働効率のよいロストル式の火葬炉でした。

ロストル式は火葬時間が短い代わりに骨は綺麗に残りにくいです。

今回もやはり綺麗には残っておらず、ただ私にはこちらの方が精神的には楽でした。

 

 

ここまで怒涛の年末を振り返ってきましたが、こうやって文字に起こす事で自分の気持ちの整理もついたような気がします。

 

出会いがあれば別れもある。相手に伝えたい事はその場ですぐに伝えようという事を再確認した2023年の年末の話でした。

(何のオチもなくてごめんなさい)